会

Encounter

Through a hundred years of gracious
hospitality,this sanctuary now opens its
doors to welcome
another wandering soul.

偶然の出会い、
宝物の時間。

ふと思いたち鎌倉に訪れた旅人は、
乗ってきた下り電車を見送った。
東京から1 時間ほどの距離にあるこの地は、
寄り道という旅の趣にはちょうど良い。

偶然の出会い、宝物の時間。

八幡宮に向かう人通りを敢えて避け
駅の反対側の路地に足を向ける。

12世紀末の日本、
源頼朝がこの鎌倉に武家社会の基盤を構築した
その名残のようなものを求めて小道を進む。

京都を中心とした貴族社会から
武士が世の中を治める転機となった当時に思いを馳せ、
いつの世も変化には抗えないと改めて思う。

武家の古都・鎌倉という土地柄なのか、
東京とは異なる「気」に包まれ、胸の奥が騒めく。

きっと、所々に残る先人の足跡が
年月を超えて日本人の心に語りかけてくるのだろう。

旅人は参拝の帰り道、
細い坂道に気を取られた。
そして静寂に包まれた細道の奥へと
歩みを進めるとその突き当りに、
見栄えのする瓦葺きの屋敷に出会った。
静けさの中に佇む風情と風格のある門構えは、
旅人を優しく招き入れるように
その奥の情緒溢れる世界に誘うのである。

聞くところ日本情緒に満ちた屋敷と庭園は、
昭和の初期、1927年(昭和2年)に、
とある老舗企業社長が建てたものを
後年、佐生英吉という人物が引き継いだという。

揺らぐ暖簾をくぐると
物腰穏やかな女将の笑顔に出迎えられた。
「しゃぶしゃぶ」、「すき焼き」
絶品の料理の気配が、もうすでに漂ってくる。

話によると弁護士だった佐生英吉氏は
かなりこだわりが強い個性的な人間だったそうだ。
当時は一流企業の顧問をしていたらしく
その重役との「もてなし」に
ここを使っていたのだという。

目と舌の肥えた地位や役職のある人々が
至極の料理と類まれなる時間を費やすために訪れた
まさに「もてなし」のための屋敷だということである。
いまでも100年前の出来事を
家屋の佇まいが物語るようである。

旅人は通された庭園を望む席に座ると
心地よい風と木立から漂う匂いに
感覚という感覚が敏感になるのを感じた。

庭に目を向けると、息を呑むような
なんとも奥ゆかしい風情に心が打たれる。
四季折々、二度と同じでない
様々表情を見せてくれるのであろう。
聞けば、京都の名作庭家の様式を受け継ぐ庭だという。

彩り豊かな植栽に石組み、橋、滝などが設けられ
一見の価値は十分にある造りに納得させられる。
この庭を料理の一品として愉しむのは
贅を尽くした時間になることは間違いないだろう。

時折、古い木造建築の軋むような音が
この屋敷が建てられた100 年前を思い起こさせる。
太平洋戦争を経験する前とはいえ
金融恐慌が世界を巡った平穏とは言えない時代である。
旅人は思いを馳せてみた。
そんな時代に侘び寂びの世界観は
人の心に何を与えてくれていたのだろうか。

夕暮れ時の長い影が、
幾重にも重なった庭木を一層立体的に魅せる。
旅人は、庭を見渡せるこの席が気に入ったようだ。
やがて夕食の案内を受けた。

女将が薦めてくれた切れ味の良い日本酒と料理を頼む。
一品が出てくるまでの待ち時間も、
また、ここでは粋に感じる。

そして葉山の味わいを
希少な地産和牛と鎌倉野菜を組み合わせ、
すき鍋としゃぶしゃぶで愉しむという。
流石、佐生英吉氏のおもてなしの意思が伝え綴られている。
料理を美味いと一言で片付けるのは無粋というものだろう。
ここは、屋敷と庭、流れる季節、そして料理。
これらが「満足」という言葉で一つに紡がれているのだと。

料理は、時間と空間、そして人でできているのだと。

思わぬところで見つけた
特別な宝物のような時間を記憶に刻み
旅人は東京への帰路についた。

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